理学部まど科

ほむオタク

【徹底】理論系で博士課程に行った人間の就活事情【解析】

ごきげんよう。夏ですね。やけに涼しい(?)6月が終わり、本物の夏が出現してきました。青い空に白い雲、地上を焼き尽くす太陽。ステキな季節がやってきます。エアコンを忘れずにつけましょう。

 

さて、博士課程のみなさん。就活はしていますか?

私はしました。なんだかんだで日経225のいわゆるメーカーから内定をいただきまして、春から路頭に迷うことはなさそうです。理論物理を専攻し、就活当時は論文も無く、企業へのアピールがなかなか難しかった私がどのように進めたのかを振り返ります。自分語りです。あとは過去の自分への提言みたいなものです。

ドパガキ向けまとめ

  • 博士課程でも普通に就活できる(普通に就活しないといけない)
  • 7月まで持ち込んだけど内定はもらえた
  • 就活サイトはあまり役立たなかったけどエージェントは使っていいかも
  • ESは人に見てもらおう
  • ガクチカにも使えるので(長期)インターンには行ったほうがいい
  • 研究紹介は研究を紹介するだけではない
  • 推薦は使えるなら使おう
  • 推薦でも落ちる
  • 理論物理専攻の博士課程からでも新卒として受かる。思い詰めずやっていこう

タイムライン

始めた時期は多分遅かったと思います。別にこれはアカデミアに残ることを考えていたからではなくて、単純に就活に対する意識が甘かったためです。真面目にやり始めたのはD2の12月からです。また、結局決まったのが7月になってからだったので、その中でもさらに長々と続けていた方のはずです。

夏インターンは全く考えていなかったので、秋頃までは本当に就活は意識から飛んでいました。せいぜい東北大学のインターンで理学×産業でおもしれ~ってなっていたくらいです。11月くらいにやっぱり就活しておかないとまずいんだろうなと、冬インターンを募集している会社を探しはじめました。ほとんど募集終わってました。1つまだ終わっていないところに応募しました。普通に落ちました。当然ですね、全く対策しないでAIに書かせたESを出しただけなのですから。その後アカリクを通じて何社か見繕ってもらいました。全部落ちました。ここまでで3月くらいです。月日が経つのは早いですね。その後、アカリクを経由せず某企業に推薦を使って応募することに決め、ようやくここからきちんと対策し始めたと思います。ただ、アカリク経由での面接の経験を積んだことや、推薦利用に携わる企業のリクルーターの方のサポートもあり最終面接までこぎつけました。ここで6月です。また、他にも企業(ちなみにここの内定をいただけました)のイベント(6月でもまだやってくれてる!)にも参加し、いろいろお話をさせていただくなど、全く順調では無いながらも進めていきました。6月末に最終面接が終わり、7月に入ってから連絡が来ました。推薦のほうが落ちました。残念。もう一方の会社は受かりました。やったね。

就活サイトについて

合格した会社、および他に学校推薦で受けた企業(落ちた)は就活サイトを経由せず自分で企業のマイページに登録して選考を進めました。

それ以外では、アカリクを使いました。リクナビやマイナビは使いませんでした。

基本的には企業探しに使っていました。院生向けのイベント情報は多いので使って損は無いでしょう。ただ、私がここ経由で合格した企業はありませんでしたが。

エージェントは?

一応かなりお世話になりましたが、前述の通り一つも合格はしていないのでどうかな、という気持ちではあります。向こうからいろいろな求人情報を送ってもらえるので、企業探しや面接の経験値を積むのには役立ちます。特に、就活関係の相談相手が一人いるだけでも大きく精神が楽になることもあります。一方でESや資料の添削にはあまり期待しないほうがいいです。こういうのは後述のように他人に見てもらうのがいいでしょう。

推薦について

企業によっては大学の推薦枠が用意されていることがあります。が、だからといって優遇されるわけではなく、選考ルートが短縮されたりするだけなので、別に使っても受かるわけではありません。私は落ちました。ただ、そうは言っても企業からすれば教員と大学の名前の入った推薦状で拘束できるので他のルートよりは多少……なんじゃないかなと思います。受かってしまえば蹴れないので志望度が高いなら使うといいのではないでしょうか。私は落ちましたが(2回目)。でも全然推薦も使わなければインターンやイベントに参加したわけでもない他の企業には受かったので、めぐり合わせというものはわかりませんよ。

適性検査

SPIとか玉手箱とかいろいろあるやつです。基本的には小中学生レベルの問題しか出ませんが、久しぶりに触れるような手法で計算が必要だったりするのである意味で結構難しいかもしれません。とはいえきちんとやれば普通にできるはずなのでその辺にある対策書を1冊持っておけば十分でしょう。まあ、企業の人と話す限りそこまでウェイトが大きいようにも思えないんですけどね。Webテストなんかはもとより替え玉などの不正が問題になりがちな上に、近年はAIに写真を送れば5秒で答えが来てしまうので、今後も適性検査を重視する会社は試験場での受験を必須にするかも。あ、これは勘です。調べたわけではないです。

ESの書き方

細かいことはここであえて書く必要は無いと思います。

とにかく2つだけ述べておきたいことがあります。人に見てもらうことと、専門外にも伝わる言葉を使うということです。

人に見てもらう

大体の人間は自分のことを客観視することが苦手です。自分では読みやすいと思っても人からは全然だったりしますし、あるいは自分の考えから抜け落ちていた要素を見れるのも人の目を通すことのありがたみです。

生成AIはたたき台には大いに活用してください。ゼロから文章を起こす必要はありません。設問と書きたいことを箇条書きにしてやれば上手く雛形を作ってくれます。ただ、基本的にAIは使用者に寄り添う、悪く言えば忖度してくる節があることに注意です。添削はやはり人間を介すのがよいです。

専門外にも伝わる言葉を使う

要するに客観的に読みやすい文章を書きましょうということです。こういうことの指摘こそ他人を介すことの意義ではあります。

例えば「相関」という言葉を聞いてあなたは何を思い浮かべますか?私は場などの相関関数を第一に思い浮かべ、統計で使う意味での相関はあまりピンと来ません。しかし、一般には後者の意味で使うことが多いようです。こういった場合、そちらに合わせた言葉遣いをしないと誤解を生じるでしょう。

あるいは「要請される」という日本語の表現に違和感を覚えますか?私は全く自然だと思います。しかし、これもまた、人によっては不自然に感じられるようです。こういう表現も避けたほうがいいでしょう。

わかりやすい専門用語については注意しやすいのですが、世間とは少し異なる意味で使っている単語であったり、他所ではあまり使われない表現などはあまりに馴染みすぎていて気づきづらいところです。特に、長く研究室にいると周りにいる人間も似た言葉遣いをしているため、日本語として違和感が無いように思えてしまいます。なので、前項の繰り返しではありますがなるべく人に見てもらうことが重要です。できれば分野の違う人や、親世代に見てもらうのもよいでしょう。実際、面接官はそのような属性のことが多いのですから。

ガクチカ・自己PR

これは特に難しいところでした。理論物理の研究を頑張ってきた、という話はなかなか伝えるのが難しいし、ましてそれがどのように企業に役立つのですかと問われれば物理とか数学はよく知ってて……と歯切れの悪いことしか言えなかったので。というかそもそも研究をどうやってきたかの話は研究紹介という別枠で問われることが多いです。結局こっちはこっちでちゃんと社会に役立ちますよ~というアピールポイントを用意しておかないといけないんですよね。

というわけで、その「物理とか数学はよく知ってて……」を使えるエピソードとしてインターンの経験を使いました。と言っても私が参加したのは企業のインターンではなく、東北大学が主催している理学と産業の交差点を作るイベントでしたが。結構長期でした。具体的に何をしたかは割愛しますが、物理や数学を実際に活かせたことが言えるような経験があるといいですね。まあ、実際にはなんでもよくて、例えば画像処理であれば線形代数や幾何学の知識が活きてすぐに実装に取り組むことができました、全然違う分野でもすぐに自分の力にできました、みたいに言えますから。こういったことは想像できても実際に経験をしておかないと解像度の高いエピソードとして話すことは難しいのでやはりやっておくに越したことはないです。

 

面接の心得

とにかく数をこなすことだと思います。アカリクエージェントを経由すれば面接の機会も多く取れるはずです。何度か喋っているうちに自己PRや研究紹介がつっかえずに喋れるようになります。ちなみに私は面接が苦手すぎて紹介されたほとんどの企業で1次面接落ちになりました。結局、全然アカリクを使わなくなってから受けた企業での面接は上手くいったので失敗経験が活きたのかな~って感じですね。

よく聞かれること

何度か聞かれたことをチョイスしました。AIと壁打ちして自分なりの答えを持っておくと何かと役立ちます。

就活した理由

博士課程だと必ずなぜアカデミアに残らなかったのか?は問われます。教育機関とはいえ、やはり世間的には研究者の養成機関という認識は大きいので。当然ですが、謙遜でも自分なんかが残れるわけなくて~などと卑下はしないように、なぜなら進んで能力の無さそうな人間を取るほど企業に余裕は無いので。というかシンプルな話で、ネガティブな要因で就活をしているとなると、自分らの仕事のレベルが低いとか、この会社ならどうにかなりそう、みたいな舐めが発生していると取られるのでやめたほうが無難です。嫌ですからね、普通に。ポジティブに行きましょう。

チームで何かした経験

企業というのは組織なのでどうしてもチームワークが必要です。仕事をするにあたって、この人はどのようにやっていくのかということを見ているのだと思います。これについては研究でのエピソードでもよいので、自分がどのような立ち位置で、どのような仕事をし、どのような成果に繋げられたかという話ができると良いはずです。サークルの副部長で~という話はしなくていいと思います。

研究でやったことをどう仕事に役立てられるか

理論系ではやはり工業をやっている人にアピールできるポイントが少ないことは事実。ただ、ガクチカや自己PRで研究と関連付けたエピソードを話せていれば実はそんなに難しくはないはずです。

失敗経験とリカバリー

自分の欠点を話す必要があります。それ自体は特性であり、問題ではありません。完璧な人間がいるなんて、誰も考えていないはずです。重要なのはどのように克服するかという点にあります。誰だって失敗はしますし、仕事中においてもそうなわけです。要するに、この質問もこの人はどのように仕事をするのだろうかということを聞いているにすぎません。

研究と企業の仕事の違い

これも何度か聞かれました。これは一般論として研究はアカデミックに分野を掘り下げ、企業では組織の制約の中で最大の成果を出すこと~、というのが言えます。これを自分の背景と交えて語るのが良いと思います。AI壁打ちしよう。

研究紹介

博士課程の就活となると基本的には求められることが多いです。体感としては見られるのは内容よりもきちんと喋れるか、発表としての体裁が整っているかが大きいと思います。

そもそも内容については、全くの分野外であったり、博士号を持っていない人相手に、自分の研究をたかだか5分~10分で話すことは困難です。ただ、相手が見たいのはどんな研究をしてきたか、というよりはどのように研究をしてきたかであり、さらにそれをきちんと体裁の整った発表として成立させられるかの能力です。なので、いわゆる基本的な「背景」「課題」「目的」「方法」「結果」「今後」をふんわり伝えられることが大事なはずです。数式は不要です。はっきり言って研究内容については"わかった気"にさせられれば十分で、自分がどのように研究を進めてきたかを喋れば問題ありません。あと、スライドの文字は少なく、大きくして、色を使って見やすいデザインにすると良いでしょう。

結局のところ向こうが気になるのは、何ができるかもそうですが、それ以上に仕事に対してどのように進めていくか、課題に出会ったときどう対処するか、が一般論として挙げられることです。そして博士課程の人間に期待されることは研究で培ってきた実務的なスキル(研究内容でなく!)が加わっていてほしいということだと思います。

おわりに

昨今の研究か就活かと二者択一を迫る議論はすこし不器用な考え方だと思います。ちゃんと研究しながら就活もできるし、きちんと大手のところにも行けます。ただ、それにともなって研究室の人や教員に迷惑をかけないようにしたほうがいいというのも考えておいたほうがいいです。私は何度かミーティングを欠席したり、議論で進捗が出せていないと報告せざるを得なかった回もあり、かなり迷惑をかけていたと思います。すみません。もちろん自分の人生なので、自分を優先したほうがいいのは確かですが、それを支える人がいるというのは忘れてはいけないと思います。どちらかに全振りをしたところで、それをそそのかしてくるインターネットユーザーは人生の責任を取ってくれません。

 

超かぐや姫!が面白かった。

思い出したので書いてみる。

2月末に見た。面白かった。ちゃんと順張りでハマった。キャラデザといい演出といい音楽といい、とにかく見ていて楽しい。2人の関係に目を向ければ運命とどう向き合うかという点で正反対だったところが交わって、役割が入れ替わって、もう一度「出会い」を果たす構造にも心を奪われた。泣いた。人生を肯定する話って、なんて素敵なんだろう。

そこかしこに入るオタク向けですよ感漂うノイズを含めてもなおこんなに流行っているのは不思議なところはある。順張りと書いたが、初見時には「ああそういうノリね、みんな好きだもんね」みたいな感じで斜に構えた見方をしていたので、やっぱりこれはこれで逆張りの心かもしれない。まあ、構え方が斜めだったせいで変な角度に刺さってきてしまったわけだけど。ふーん、と見ていて、彼らを好きになってきた頃合いでこの物語の元ネタが竹取物語であることを思い出して思わず涙を流してしまった。帰っちゃうんだもんね、月に。

初見時で初めに泣いたのは花火大会……で会場に向かう階段。あれだけ傍若無人に振る舞っていたかぐやが、後ろを気にする余裕を持ち、明らかに大人びた表情までしている、あのシーン。大人の階段を登るではないけど、もう成長してあの頃の無邪気な幼さには戻れないことを見ている側に嫌でも気づかせる構造。直後に言葉でも語られるけど、本当に終わりが近づいていることを感じてしまってしんどかった。

そこに限らず花火大会らへんは全部良かった。死ぬほど退屈でつまらない世界から複雑で自由で楽しそうなところに逃げてきたけど、ここの人たちもいろいろ抑えて生きている。だからこそ美しいし、自分の運命だって愛するべきでしょう?とあんなだったかぐやが気づく。楽しいものは楽しいし、腹に響く音や鼻を刺す煙の匂いという無かった概念も、その素敵なもの全てがそういう人たちの生によってできている、ならば自分だけ逃げ出すなんて、と運命に向かう覚悟をしてしまうのが切ないところだ。反対に、彩葉は逃げ出せない運命にだって抗っていいという考え方をかぐやから学んだ。学んでしまった。だけれども当のかぐやは覚悟を決めている。2人が出会った頃とは完全に反対の事を考えてしまっている。もし、ここでもう一言でも交わせていれば変わっていたかも知れない。ただ、彩葉は言えなかったし、かぐやも大人になってしまった。かぐやは大人ぶっているのではなくおどけた振る舞いのほうが無理をしていた。もう、あの時には戻れないのだから。

このシーンの重要性は2人の生き方の本質が交わったところにあるはず。「運命は抗えないもの(受け入れて覚悟するしかない)」と考える人と「運命は自分で変えていくもの(ハッピーエンドに連れていく)」と考える人の感性が一番近づいたのに、最も言葉が通じなかったのだから。わかったはずなのにわかりあえなかったことでお互いに不可逆な成長を遂げてしまった。そういうのは普通は良いことなはずなのに、お互いから学んだことをお互いに言えなかった点ですれ違ってしまった。基本的にはかぐやの成長という視点で表現されていたけど、その対比が意識されていないわけはなくて、見ながら2人の関係が完結に向かっているんだと思ってしまって……、また泣いた。

ここが対比されていることを提示した上で「再会」した彩葉が「運命を受け入れて覚悟する、その上でハッピーエンドまで向かう」と無敵みたいな回答をしたからかっこいい。どちらの考えも否定しない。それがこの物語の終着地。泣いた。

確かに本編のSF要素やストーリー展開には多少強引なところはあったかもしれない。けど、本質はここの生き方についてである。この結論を持ってきているのだから、力強い説得力を感じさせる。避けられない運命だって受け入れて、その上でハッピーエンドまで進むことが大事なのだ。逆に言えばこの話はまだ道半ば。本当のハッピーエンドにたどり着けたか?は描かれていない。おそらく、大事なのはそこではなかったのだろう。

いや、見たいけどな。それは。

微分と変分の交換について

最小作用の原理からオイラーラグランジュ方程式を導くときにいつも \delta \left( \frac{dx}{dt}\right)=\frac{d(\delta x)}{dt}をやっていた。これはあまり教科書で見なかったのだが考えてみれば当たり前だった。そのメモである。

 \delta \left( \frac{dx}{dt}\right)=\frac{d(x+\delta x)}{dt}-\frac{dx}{dt}=\frac{d(\delta x)}{dt}

やってみればほぼ自明だった。教科書にのらないわけだ。自分はどこで悩んでいたんだろう?

 

LaTeXで使っている演習用プリセット

メモ。

\renewcommand{\thesection}{[問題\arabic{section}]}
\renewcommand{\thesubsection}{(\arabic{subsection})}
\renewcommand{\thesubsubsection}{(\roman{subsubsection})}  

 \LaTeXマークアップがどうのこうのでこうして新たなアレができるらしい。

これをプリアンブル(\documentclass~と\begin{document}の間)に書いてやるとよい。この[問題1](2)(iii)のような形式は演習で使われている形式そのままである。

例として

\section{暁美ほむら}

以下の問に答えよ。

\subsection{鹿目まどか}

かわいい

\subsection{美樹さやか}

かわいい

\subsubsection{巴マミ}

かわいい

\subsubsection{佐倉杏子}

かわいい 

 のようにすると

f:id:Tiro_finale:20200509184858p:plain

こんな感じになる。

わかる人にわからない人の気持ちはわからない

Twitter上で「技術系の同人誌を書きたいがこのレベルを欲しがる人がいるか問題」という話があった。自分の書ける内容についてやはり既出であるとか、もっと上位互換の本が存在しているとか考えるとそういう気持ちになる。

自分レベルのような人はその内容を欲しているかもしれない。同じようなところで詰まって悩んでいるかもしれない。そういうわけで助けようと思ってなにか書こうとしても、そのためには自分のレベルより高度な知識を要するだろうし、そうなると過去のできなかった気持ちも忘れてしまう。過去に難しいと思っていた内容を後で見返したらなんでこんなところで立ち止まっていたのか、と思うような感覚だ。何故悩んでいたのか忘れてしまうのだ。理解すると悩んでいた部分が自明に覚えてしまう。

もちろんわからない人にとって自明じゃないというのは理解できる。そのまま自明ではないだろうと書き続けると記述が冗長になり、舐め腐った感じに見え、かえって分かりづらくなる。結局目的は果たせない。

自分の発表を考えているときなどはこの壁によくぶちあたる。こういうのを物ともせず、初学者向けに書かれる教科書は本当に優秀だ。もちろんその著者も悩み抜いて書いているだろうが。

この壁、フォロワーの言っていた「自転車の乗り方」という例えがわかりやすいだろう。補助輪を外したときの感覚を乗れない子供に説明できるかということだ。参考書やウェブサイトなんかでも突然補助輪を外すことが多い。そこで後ろを押してくれる人間が必要だがそれが教師だったりチューターだったりの役割である。しかし彼らだって補助輪を外して久しい。悩み相談に乗れるのは今まさに自転車に乗ろうとしている人なのだ。それも不可能なので、結局全部自分で解決するしかなくなりまた助けを必要とする人が増える。

学習もその手助けも大変なのだ。